
世界各地に伝わる幾何学模様の美。
ここ弘前にも、世界に誇れる美しい工芸品、「こぎん刺し」がありました。

余談ですが、弘前こぎん研究所のある建物(上写真)は、建築家前川國男氏の作品(木村産業研究所)であり、国の登録文化財となっているそうです。
初めてこぎん刺しを手にとってご覧になった方は、そのセンスに驚くことでしょう。
「欲しい。」身につけて、みんなに自慢したい。ところが、次に値段を見た瞬間、固まってしまうかもしれません。「高い。」私には買えない...

でも、ほんの少しだけ制作工程に興味を持っていただきたいのです。
麻の布を織るところから始まり、染める行程、そして出来上がった麻布に、太い綿の糸を一針一針刺す行程。言葉で説明するのは簡単ですが、実際に作業するとなると、大変な時間と労力を要します。私たちが訪れた弘前こぎん研究所では、数十年前に作られた木製の織機や糸を紡ぐための道具が今でも現役で活躍しています。ちなみに、綿の糸を刺す行程は、ハガキサイズでも1週間はかかる地道な作業なんですよ。

ところで、なぜ、綿の糸を刺す必要があるのか?
江戸時代に始まったといわれるこぎん刺しですが、当時、士農工商の身分制度の中で、農民は綿の衣類を禁止されていました。代わりに使うことが許されたのは、麻布。みなさんご存じの通り、防寒には優れておりません。津軽の寒い冬を越すには薄すぎる麻布を、少しでも温かくするには、どうすればよいのか。また、農作業の際には、丈夫な着物でなければならない。このような条件を満たす着物として考え出されたのが、こぎん刺しだったのです。まさに、農民の知恵と言えますよね。

最近は、エコロジーに興味がある方も増えて来ました。しばらく前までは、物を安く買って、壊れたら捨てる。そして、新しい物を買う、という方が多かった気がします。ところが、今は、丈夫な物を買い、壊れたら修理して使う、つまり、ゴミを出さないやり方が見直されているとか。丈夫な麻布をさらに刺繍で補強したこぎん刺しは、今や、衣類だけでなく、さまざまな用途に使われています。もしかしたら、こぎん刺しのエコバッグもいいかもしれませんね。
最近は、エコロジーに興味がある方も増えて来ました。しばらく前までは、物を安く買って、壊れたら捨てる。そして、新しい物を買う、という方が多かった気がします。ところが、今は、丈夫な物を買い、壊れたら修理して使う、つまり、ゴミを出さないやり方が見直されているとか。丈夫な麻布をさらに刺繍で補強したこぎん刺しは、今や、衣類だけでなく、さまざまな用途に使われています。もしかしたら、こぎん刺しのエコバッグもいいかもしれませんね。

↑皮と麻を使ったショッピングバッグは、一生もの。とても丈夫なうえ、修理することも可能です。まさしく、エコの考え方ですね。

江戸時代は、質素だったこぎん刺しですが、現代では、カラフルな色合いのものも増えて来ています。基本の藍色ですが、夏らしい色合いですので、ここに数点ご紹介したいと思います。いずれも、この道何十年のお母さん達が一針一針刺したこぎん刺しです。ご自身でお使いになってもかまいませんし、贈り物にされても、評価の高い、素晴らしいものばかりです。
取材活動のなかで知ったこぎん刺し。私達「特選生活」は、弘前に伝わるこぎん刺しの魅力を全国の方々にお伝えするため、今後も弘前こぎん研究所のこぎん刺しの販売を続けて参ります。皆様が、お求めのこぎん刺し、あんなデザイン、こんなデザインなど、お探しでも手に入らないものがありましたら、お気軽にご連絡ください。私たちが、お客様に代わってお探しし、お届けいたします。
こぎん刺し
1. こぎんを生んだ津軽の風土
「こぎん」を考える上で、岩木山・岩木川を中心とした厳しい自然と、弘前城主である歴代津軽公の藩政をぬきにすることはできない。また、藩政そのものがきびしい自然を大きく反映し、そのため農民たちは身近な麻布に、衣類としての使用を禁じられた木綿糸を刺し重ねる「こぎん」のアイデアを生み出したのである。そして、長い冬は、この細やかな図柄を刺しつづる時間を与え、娘たちの楽しみとなり自分を表現する唯一の方法にもなった。
自然とのかかわりが大きければ大きいほど、自然崇敬も厚く、いろいろと神事も多いのである。
2. こぎん刺しとは
こぎん刺しの特長は藍染めの麻布に、白い木綿で織り目にそって手刺しするもので、今日では、用途によってウール地なども用いられています。
今は、模様を確実に刺すために、方眼目のグラフ用紙の上に線を入れた設計図を使いますが、昔は口伝え、見よう見真似で刺したようです。
こぎん刺し(津軽こぎん)は、作られた場所によって、大きく三つの種類に分けられます。
●西こぎん
●東こぎん
●三縞こぎん
3.こぎん刺しのあゆみ
元禄5(1692)年…行き倒れした者の中に「破布こきん」「古こきん」が認められる。
享保期(1716〜1736)…肌着、被り物、帯など、衣服の一部に木綿が認められたものの、依然として麻が強制されていた。
天明5(1785)年…三河の菅江真澄(1754〜1829)が、津軽の女たちが「綾をつけた」さしこぎのを着ているのを見たと、旅日記に記す。
天明8(1788)年…津軽藩士、比良野貞彦が「奥民図彙(おうみんずい)」に「サシコギヌ」として三種類の模様と、刺しこぎんを着た農婦を描く。古川古松軒が「東遊雑記」に、刺しこぎんの美しい模様にひかれたことを書き記す。
寛政1(1789)年…木綿がある程度許されるが、身分によって着用が決められた。(庄屋以下…厚狭の上小布 仮子…「刺綴」「刺小布」の短物着用)
寛政3(1791)年…藩で購入した原料綿を下級藩士に貸し渡す。藩士の婦女が手織木綿を製作する。これが、弘前こぎんの始まりいわれる。
弘化4(1847)年…「春興刷」によると、こぎん刺しの原型が完成されている。
安政2(1855)年…仕事着だけでなく、晴れ着にも用いられるようになり、嫁入り道具の一つとして作られた。
明治初め…農民の木綿使用が解禁となる。農家の若い娘たちは、晴れ着を競って刺した。
明治24〜27年…鉄道の発達(24年、青森〜上野間、27年、弘前〜青森間)の開通に伴い、木綿の布が手に入るようになる。
大正末〜昭和初め…木綿のカスリや手織を着るようになり、刺しこぎんが廃れる。
昭和7(1912)年…民芸の創始者、柳宗悦が民芸協会発行の「工芸14号」に「地方工芸の最たるもの」と絶賛した。
昭和30(1955)年…木村産業研究所の横島直道が女性の力をかりて、材料や模様を集めたり、資料作りをして、産業化に結びつける努力をした。
4. こぎん刺しの種類
●西こぎん
西こぎんは、お城のあった弘前市から見た西側、西目屋村、旧相馬村、弘前市船沢地区、弘前市小沢地区のあたりで作られたものです。
山に入って重い荷物を背負うために、肩に縞模様の工夫があり、黒糸と白糸で交互に刺した五段の縞があるところから「縞こぎん」とも呼ばれています。
西こぎんは、麻布が緻密なため、模様が細かく色々な模様が入って手間がかかるので、晴れ着に使われました。その美しさゆえに、かつて津軽地方では「嫁をもらうなら西から」という話があったほどです。
●東こぎん
東こぎんは、お城から見て東側、黒石市、旧尾上町、旧平賀町、弘前市石川地区などで作られました。
太目の麻糸で織られた布に刺したものが多く、模様は縞がなく、全体に大胆で大柄なものが多いのが特徴です。
●三縞こぎん
三縞こぎんは旧金木町を中心、旧木造町、旧車力村で作られ、鮮やかな太い三筋の縞模様が特徴です。
デザイン的に優れたものが多いのが特徴です。
金木地方は、冷害や凶作に襲われることが多く、そのためこぎん刺しをする生活の余裕がなかったのか、刺し手が少なかったのか、現存する物は少なく、残っている物は大変に貴重です。
5. 材料
●麻布
現在の麻布の多くはベルギー、イタリア、韓国などからの輸入品です。明治時代までは、農家の時価精算によるものでしたが、現在、国産では価格が高くなり、輸入品にたよっています。
明治時代の麻布の作り方を、お年寄りに聞き書きしたものが残っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・麻の種を蒔き、夏、刈り取り、桶に入れ、鉄釜で蒸し、柔らかくなってから川に漬け込み、少しずつ取り出しては、皮をはぎ取り、繊維を竿にかけて乾かし、束ねてためておきます。一本の糸分ずつ丁寧に裂き、端をよりあわせて、つないで糸にしていきます。麻糸を作るだけでも手間のかかる仕事です。この後、織り上げますが、織り上げたものは強ばっていて堅いので、灰汁で煮て柔らかくし、水をもぐらせ、さらして柔らかく白くします。これを紺屋に出し、染めてもらいます。染め上がった布は、家庭で「じょば槌」で打って柔らかくします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・●木綿糸
現在では、アメリカ産既製のよりきつい綿糸を使わず、単糸より合わせて、こぎん刺しに適したふくらみのある刺し糸を作ります。
6. こぎん刺しの行程
1.糸より
2.染める 煮る(油を出す)→空干し → 染め → のりづけ → 干す (染めの種類…藍染め、草木染め、化学染め)
3.織る (1)整計…長さを決める。※整計台…糸がからまないように、「綾」という棒がところどころに立てられている。→おがけ (2)おまき (3)そうこう、「おさ」の準備…金か竹の「おさ」に1本1本通す。 高はた(はた)で織る
4.整える
5.裁断
6.刺し 図案→刺し
7.仕上げ アイロン、加工





























